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 東京中国歌舞団・歌手 陽二蓮

中国養父母慰問

<中国残留日本人孤児の中国養父母を訪ねて>

「痩せこけて、畑の中にうずくまっていた小さな子供を、そのままにしていたらこの子の命はなかった」
「その子が中国人だとか、日本人だとかは関係ない。連れてきて育てるのは人間として当然のことだ」
中国に残された小さな日本人の命を救ってくれた中国人養父母の言葉には、共通するものがあった。「戦争はしているが、子供に敵・味方の区別はない、同じ人間だという考えだった。」 養父母の生活は想像を絶する以上に苦しかった。しかし、日本人孤児も実子もまったく同じように育ててくれた。そのような孤児を母親とする残留二世の劉錦程さんが、東京中国歌舞団の団長だ。 「中国人養父母に感謝する気持ちを忘れてはいけないよ」という母親の言葉を、劉団長は決して忘れない。「中国人の養父母がいなければ、自分の母親もいない。 そして、今の自分もこの世に生きてはいない」と考え、いつも中国人養父母に感謝をしている。このことは、自分の命だけではなく、同じような境遇にあった日本人残留孤児全員に共通することだ。 こんな思いから劉錦程さんは、1993年から毎年、中国にいる養父母に感謝する慰問コンサートを続けています。
当初は30人を超える訪中団を結成して、東北三省の8大都市で慰問コンサートを開き、養父母の家庭や懇親会を開催して感謝の気持ちを表しました。その後も毎年20人前後の団員で訪中して養父母の慰問を続けています。 この慰問活動は、北京の「盧溝橋・抗日戦争記念館」第8部分(日中友好・面向未来)に大きく記載されています。これらの慰問活動も今年2012年は20年目となりました。 今年は日中国交回復40周年となり、私たちの慰問訪中も20周年を迎えます。養父母は米寿、卆寿、白寿と高齢になりますが、齢には限りがあります。養父母が黄泉に旅立っても、育ててくれた日本人孤児、そしてその二世、三世と子々孫々に生き続けます。 そこには、日本人と中国人の礎を築いてくれた養父母の人間性に溢れた意思が、いつまでも光り輝いています。皆様方の末長く心強いご支援とご協力をお願いいたします。

<2013年度(第21回)中国養父母慰問のご案内>


<中国養父母慰問の思い出>

養母を家庭訪問
2010年劉 錦程団長
ハルビン市の養母を家庭訪問
養父母慰問
現在、北京「抗日戦争記念館」
第8部分館に記載されています
慰問活動
1993年第1回目濱陽にて慰問活動はTBS報道特集に取り上げられる
養父母慰問コンサート
1995年中国養父母慰問コンサート
(長 春)
養父母慰問コンサート
1993年中国養父母コンサート
(濱 陽)
養父母慰問コンサート
1994年中国養父母慰問コンサート
(ハルビン市)
養父母慰問記事

中国養父母慰問
(朝日新聞記事)

養父母慰問記事

中国養父母慰問
(新華社記事)

養父母慰問記事

中国養父母慰問
(人民日報記事)

慰問コンサート

1993年慰問コンサート
遼寧省の瀋陽、撫順、大連

慰問コンサート

1994年慰問コンサート 黒龍江省のハルビン、方正、牧丹江

慰問コンサート

1995年慰問コンサート
吉林省の長春、吉林

養父母慰問

2005年(長春中日友好楼)に在住
中国養父母に慰問

養父母慰問

1994年養父母家庭訪問

養父母家庭訪問

2006年養父母家庭訪問